ありがとうと感謝の気持を平和の絵本から。

2005年08月:「平和の絵本」から、ありがとう

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「平和の絵本」への応援、ありがとうございます。直接、御礼を言えないことも多いのですが、この場を借りて感謝の言葉を述べさせて下さい。またこのブログでは応援してくださる皆様の声も御紹介したいと存じます。

ようちゃん2号様


ようちゃん2号の日記というブログで、善悪中毒のご紹介を頂きました。

ようちゃん2号様(って、面白いハンドルネームですね。1号はいらっしゃるのかな?)、どうもありがとうございます。

以下、引用いたします。

------------ようちゃん2号の日記から-----------------------

『善悪中毒』 東郷 潤 著 読んだ。 (「道徳」に戻るための準備段階) 

ページ数にするとたいしたことはないんだけれど、読み返しが必要な本だったな。

善悪っていうことの根っこになる部分が、どういうメカニズム、構造を持っているかということが、ようちゃん2号にとっては掴みづらかった。

掴んでみると、ようちゃん2号が日頃考えていることと、底の部分でつながる部分があると思ったよ。

そして今までこの日記で紹介してきた本からの用語でいうと、「善悪」っていうの「父権制イデオロギー」っていうことに近い感じがする。

認めがたいことだとは思うけれど、「父権制イデオロギー」っていうの、今、ものすごく蔓延していることだと思う。

そして、他罰的に断罪する、というか切り捨てるっていうことを善悪は要請するね。

って、本文を引用しないとわかりにくいかな?

でもね、まずは「父権性イデオロギー」っていうのを、過去の日記中から持ってくるよ。

以下↓引用。(『健全な肉体に狂気は宿る』第4章 個性とこだわり幻想)
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 父権制イデオロギーと被害者意識
内田 ぼくの意見では、それは父権制イデオロギーが原因ですね。自分を「被害者」という立ち位置に置いて、自分の身に起こるすべてのことを「被害―加害」の因果図式で説明しようとするものを「父権制イデオロギー」と呼ぶことにしてます。帝国主義者でも、ブルジョアジーでも、男権主義者でも、「父」でも神でも、何でもいいんです。
 要するに何か巨大で強大なものが世界を一元的にコントロールしていて、わが身の不幸も、自己実現がうまくいかないのも、すべてはその強大な「悪」のせいなのである。だから、この「悪」さえ除去されれば、自分のいるべき場所を見いだし、出会うべき人に出会い、潜在する才能や資質のすべてが開花するであろう……というふうに考える理説は全部「父権制イデオロギー」だと思っているんです。
 だから、ぼくはフェミニズムも父権制イデオロギーだと思ってます。自分の今の不幸を他罰的な文脈で語ることを怪しむ習慣のないイデオロギーはすべて父権制イデオロギーなんだから。
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以上↑引用。

善悪っていうの、被害者の立ち位置に、自分を立たせることになんだと思うのね。

これは、わかったようにしたり顔で「一神教が悪い」って言う人にも当てはまることだよ。

「一神教が悪い」って言うのって、いまいち正体が見えていないか、単純に「父権制イデオロギー」を受け入れている人の物言いなんだね。


これをわかりやすくするために、本の引用をする。

実は、先に書いたようにこの部分がようちゃん2号にとって一番、腑に落とし込みにくいところだったの。

ちょっとわかったような気がするので、ようちゃん2号なりの説明も加えて引用していく。

以下↓引用。(第2章 善悪とその錯覚) 
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 1.善悪の使用目的
あなたが、何かの行為をしている人間を見て、その行為の意義を知りたいときには、何について考えるだろう?
 普通はまず、行為者の動機・目的を考えるのではないだろうか。
-----------------------------------
引用↑以上。

これだけだと理解するのにどうっていうことのない文章かな?

著書ではこれを主婦のたまねぎの選別の例をあげて説明する。

興味を持つ人であれば、普通、興味はたまねぎを選別する主婦の動機・目的となるよね。

腐ったものをより分けているのか、何を作ろうとしているか?とかね。

ところが、例えばこの主婦に激しく怒られている子どもを見ると、子どもが何をしたから怒られているのか、そのことに興味が行かないかな?

子どもが怒られるに値する行為を行ったかどうか?っていう興味。

主婦がどうして怒っているか?その真意っていうのが、飛んじゃう。

子どもがやった行為によってしか主婦を裁けないものね。


さて、ここで問題です。(…えらそうだね。ちょっと我慢してね)


たまねぎをより分けている主婦のときはたまねぎは関係なかったのに、子どもに切り替わったとたん、激しく怒っている主婦は放っておいて、子どもが何をしたかっていう行為の方に興味が行っているでしょう?

んで、見て欲しいのは「主婦、あるいは子どもを裁く権利があんたにあるの?」っていうこと。

たぶんね、その権利があるっていうのが、今のおおかたの流れなんだと思う。

うーん、今、ちょっとずつ変わってきてはいるみたいだけれど、「郵政民営化」ってあるでしょう?

これって、あくまでも小泉さんが何をしたいのかっていうことが重要なんだと思うのね。

ところが、マスコミも含めてっていうか、マスコミが率先して、後の動きの方に飛びついちゃっている。
(主婦の例で言えばたまねぎに飛びついている)

国民に真・信・心を問うって言うけれど、はっきり言って下駄預けられて舞い上がっちゃって、小泉さんの真意も聞きもしていない。っていうのがマスコミじゃないかな?(しつこいけれど、たまねぎ)

郵政民営化が焦点だと言うなら、「郵政をどうする」というのを具体的に伝えて行くことだと思うのだけれど、そういうことをよってたかって放っておいている感じがする。(…もうわかるよね)

前々からの印象なんだけれど、小泉さんって郵便局っていうおもちゃ箱をひっくり返したいとしか聞こえないの。

そんで、「後はみんなで考えな」ってね。

「郵政民営化か反対か?みなさんが裁けますよ」って下駄預けられて、
「わははー、裁けるのかー、どちらか選べるのかー、うれしいな」って思わされて、踊らされているのってバカにされているようにしか思えないんだな。
(どっちを選んでもバカにされているのはおなじことのように思えるの)

他罰的ということ自体が被害者であることを選んでいるということの証明のような気がして、そして、どっちもある面、被害者なのに、加害者側に回れるのってそんなにうれしいことなのかな?

被害者ほど善悪を選ぶ感じなのよ。

どうしてか?っていう構造、メカニズムはちょっと、禅問答のようになっちゃうけれど、この本の第三章の目次を写しておくだけでようちゃん2号は説明を加えないことにする。

みんなに実際に読んでみてもらえればな?って思う本だから、興味だけ持ってもらえれば良いかな?って思うんだな。

  第3章 善悪中毒
  1.主従関係の始まり
  2.善悪の魅力
   1)命令する力を持つ
     密かに命令する
     賞罰不要で命令できる
     外部権利を利用できる
   2)自己責任を逃れる/従属できる
   3)善人になれる
   4)怒りに直面しない
   5)感情をコントロールできる
     禁止された感情を消す
     子どもを教育する
  3.善悪の禁断症状
   1)親、伝統、民族、宗教に逆らう?(⇔命令する力を持つ)
   2)自己責任をとる(⇔自己責任を逃れる/従属できる) 
   3)自分が悪になる?(⇔善人になれる)
   4)相手の怒りに直面する(⇔怒りに直面しない)
   5)心を失う?(⇔感情をコントロールできる)
     悪魔に襲われる?(⇔禁止された感情を消す)
     敵と孤独(⇔子どもを教育する)

…えーっと、説明を加えないけれど次の日の日記にちょっと関係してきそうなので、引用をしておく。

以下↓引用。(第3章 善悪中毒 1.主従関係の始まり)
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 一般に、個々の人間が善悪と主従関係を結ぶのは、小さな子どもの頃からだと思われる。
 これを説明するのは簡単だ。具体例をあげよう。
 子どもが銃で遊んでいるとする。― 次のような子どもへの叱り方は、かなり日常的なものではないだろうか?
 「銃で遊ぶな!」
 「なぜ?」
 「それは悪いことだ」
 「なぜ悪いの?」
 「悪いといったら悪いんだ!黙れ!」

この結果、子どもが以下のことを学ぶことがお分かりいただけるだろうか?

●悪だといわれたら、疑問を持ってはいけない。― つまり、善悪には無批判で従えということだ。
●普段はやさしい親の愛も、善悪という権威の前では無力であり抑圧されること。

 こうして、善悪は、教育を通して人間と主従関係を結ぶ。
 基本的に麻薬中毒は遺伝しないが、善悪と人間の主従関係は、親から子へ先祖代々、引き継がれていくものと考えられる。
 ちなみに、次のように子どもを叱れば、善悪との主従関係は生まれないだろう。
 「銃で遊ぶな!」
 「なぜ?」
 「お前はまだ子どもだ。子どもが銃を扱うことは、とても危険なことなのだ。私はお前のことを愛しているから、お前を危険な目にはあわせたくないんだよ」
 「ふーん。もし、ぼくが危険な目にあってもいいから、銃で遊びたいと言ったら、僕をぶつ?」
 「もちろんだ」
 「うん、分かった。…お父さんは、本当に僕を愛してくれているんだね。」
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引用↑以上。


  1. 2005/08/26(金) 14:35:17|
  2. 感想文:善悪中毒|
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tomako様


tomako様から、メールで善悪中毒への感想文を頂きました。
どうもありがとうございます。

なお、一部、プライバシーの観点から、省略しています。

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「善悪中毒」読ませていただきました。

図や表がたくさん使ってあって、わかりやすいですね。
私は眠らせないで一気に読むことができました。

特に、第2章のはじめの「裁くという行為において、裁かれる人は
玉ねぎのような対象物に過ぎない。」というところはわかりやすいし、
本当にそのとおりだと思いました。

善悪の絶対的な権威を妄信しているから、人を玉ねぎのように選別してしまうのか?
打算的な目的を果たすために選別をする”言い訳”として、その権威を持ち出すのか?

イラク戦争の動機はどっち?・・と思いました。

同じく第2章の、善悪は命令、分類、属性という異なった3つの顔を併せ持っている
というところは、今まで意識していなかったことです。
ここはちょっと理解するのに時間がかかりました。
善悪って奥深いものなんですね。

第3章の善悪中毒のところは、禁断症状も含めて、
身に覚えのあることばかりで、スムーズに進むことができました。

第4章では希望が見出せてうれしくなりました。
ここから読み始めるといいかも。。。

けっこう私は「わかるわかる!」って感じで、さらっと読んででしまい、
何も違和感を感じなかったのですが、

―略―

平和運動している人はみんな正義感が強いですからね。
殺人は許せないという気持ちから、戦争反対の立場にたっていると思いますし。。。

―略―

平和の絵本のHPの「国際協力ボランティアのお願い」のページに
書かれていたこと、そのままですね。
『まず、何かの意見・思想に接する時、注意深くその思想の最初だけを読みます。
そして、「自分の意見と同じかどうか。同じ善悪を持っているか」という判断だけに集中します。』
というところ。。。


東郷さんの「なぜ絵本のなのか?」という考えに深く共感します。
私も「善悪」に対して、メガネとか壁とか、天井を覆っているもの、というイメージがあります。
今まで空だと思っていた天井が破れて、本物の光が差し込む・・というような。

4章に書かれていた「人を信じたいという根深い欲求」は、
知性の働きを鎮めて、心と向き合って初めて気が付くことなんじゃないかな?と思います。
そのためには絵本の方が有用な気がします。
イメージをつかみやすいですね。

この前、東郷さんがメールで言われていたように、
何千年もかかって人々に浸透したものを数年で変えるのは無理なんでしょうけど、
とりあえず今、「意義がある」って思えることをしたいです。
  1. 2005/08/24(水) 14:55:55|
  2. 感想文:善悪中毒|
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mshr1962 様


教えて!goo 質問:思春期の女子のための絵本
で、私どものwebをご紹介してくださって、ありがとうございます。



  1. 2005/08/11(木) 11:43:38|
  2. 紹介&リンク|
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  4. コメント:0









































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