ありがとうと感謝の気持を平和の絵本から。

2009年04月:「平和の絵本」から、ありがとう

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「平和の絵本」への応援、ありがとうございます。直接、御礼を言えないことも多いのですが、この場を借りて感謝の言葉を述べさせて下さい。またこのブログでは応援してくださる皆様の声も御紹介したいと存じます。

アローナ様 -ご紹介(一輪の花)


MIXIのアローナさんの日記で、私どもの絵本「一輪の花」をご紹介くださいました。
アローナ様、ありがとうございます!!

→MIXIのアローナさんの日記(MIXI会員でないと読めません)

以下、関連の箇所を引用させてください。

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今日は『リメンバー・チェルノブイリ・デー』
1986(昭和61)年、今から23年前
ソ連ウクライナ共和国のチェルノブイリ原子力発電所で
大爆発事故が発生し、周辺の地域に大量の放射能が撒き散らされ、
史上最悪の原発事故となりました。


絵本「一輪の花」
http://www.j15.org/Picturebook-Atomicbomb/index.html

ご存知ですか?

原爆・核兵器の廃絶をテーマにしたweb絵本です。
とても愛に満ちた絵本です。
決して宗教絵本ではありません。

様々な解釈があるとは思いますが
このように考えられれば
1000年後といわず10年後に
核廃絶ができるかもしれませんね!


  1. 2009/04/30(木) 00:14:11|
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嵯峨根 様 -定期的なご寄付


嵯峨根様から、4月17日付けで、12,000円のご寄付を頂きました。
本日、銀行口座をチェックしていて、気づいたものです。

このご寄付は、毎月1,000円という定期的な寄付としてのものです。以前にも、嵯峨根様からは、2008年10月に1,000円それから3月までということで5,000円のご寄付を頂いています。

PAYPALの毎月払いのシステムが使えなくなり、大変ご迷惑をお掛けしたのですが、定期的な寄付を続けていただいているものです。とても勇気付けられ、そして感謝しています。

嵯峨根様、ありがとうございます。m(--)m


  1. 2009/04/27(月) 20:49:12|
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jill様 - ある星の飲酒運転


jill様から、私どもの絵本「ある星の飲酒運転」に関連して、以下のご意見、ご感想をいただきました。

Jill様、どうもありがとうございます。これからも少しずつアップしていきますので、時々、お立ち寄り頂けますと嬉しいです。(^^)


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久しぶりに見たら、新しい話が増えていて楽しく読ませていただきました。
このお話はとてもわかりやすかったです。

私は祖父も姉も交通事故被害者で失っていますが、
加害者は飲酒運転ではなかったのですが、通勤途中や帰宅中ということで、
ボーっとしてたみたいです。
交通事故の原因なんてそんなもんです。
ただ、親族にしてみれば、飲酒だろうがなんだろうが
失われた命は元には戻らないので、やりきれない気持ちはアタリマエです。
加害者と顔も合わせてませんし、「許す」なんて気持ちは永久に絶対ありません。

ただ、自分自身、もし、あの時、今のように飲酒運転に厳しい世の中で
加害者が飲酒運転だったら、加害者だけでなく加害者の親族の人生をも破滅させるほどの厳罰を要求してたかもしれないな・・とふと思いました

厳罰化が必要以上の憎しみを生むことはあると思います。
そういった憎しみが「悪」の種になっていくんでしょうね・

  1. 2009/04/22(水) 00:13:06|
  2. 感想文:絵本「ある星の飲酒運転」|
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桃犬のつぶやき様 -リンク


桃犬のつぶやきというブログで、いくつかの絵本へ、リンクをしてくださいました。
お話の流れの中で、リンクをしてくださったのですが、絵本の趣旨を読み込んでくださっていることが伝わって、「こんな風に読んでいただけているんだ」と、とっても嬉しかったです。

桃犬のつぶやき様、ありがとうございました。

以下、とても興味深く拝見しましたので、引用させていただきます。(問題があったらおっしゃってくださいね)

---------------引用------------------


「嫌い」の魔術

「嫌い」

一方的でネガティブなこの態度。

人に対して「嫌い」「好き」を作ると、
アラ不思議。
自分が絶対的な「善」の立場になれるのだ。

「嫌い」と言われた人は、
なんの落ち度もなく、一方的に「悪者」にされ、
まるで本当に自分が悪いような気がしてしまう。

「嫌い」を宣告した側は、
とたんに自分が優位に立った気がする。
この魔術に勝てるのは、
自分自身の心にある、愛だ。

なぜなら誰かを悪と裁くことは、
その人を愛することを、自分に禁じることだから。
戦いを、自分に課すことだから。


「誰かを悪だと裁くことは、
『私はその人を理解せずに憎みます、罰します、戦います』 という、宣言以外の何物でもない」


悪を裁くだけではない。
「善」を裁くこともまた、「悪」を作ることと同じなのだ。



いじめ

まだ幼稚園に上がる前、突然近所の女の子にいじめられた

いつも遊んでいた子に突然呼び出されて、家にいったら、
いつも遊んでいない年上の子がいて、
二人がかりで
ピアノの椅子に縛られて「謝れ」といわれた
なんで?
昨日まで一緒に遊んでいたのに
それ以降ずっと、その子に嫌われ続けた


中学の3年間、親にいじめられた

それぞれの愚痴をひたすらひたすら聞かされ続けた
逃げればよかったのに
両親に仲良くしてほしかったから
間に入って仲を取り持ちたくて
逃げられずに傷つき続けた


突然「悪者」にされた子ども
相手、つまり「いじめる人、いじめる心」を「悪」とすることで
自分を「善」として、納得させた
自分は被害者、私は悪くないと。


それが善悪の罠のはじまり
「良い人」「悪い人」で
自分を含め、人を判断していた

人をいじめるような「悪い人」になりたくないから、
「悪い人」を見つけた

「良い人」だって相手に伝われば、好かれると思っていた
それはつまり、「良い人」と同時に「悪い人」を分けることだったと
気付かずにいた


善悪のゲームに乗ってしまうと
「悪者にされてしまう」という恐怖に縛られ、
自分の自然な愛を押さえつけてしまう。


自分のみなした「悪」=敵を作ってしまうと、嫌われ、敵とみなされてしまう。

私はもう、善悪の眼鏡をはずしたい。

なぜなら、人を善悪として裁く事は、
終わりのない憎しみのループにはまることだから。
戦争を続けることになってしまうから。


サイパンや各慰霊の地に赴き献花し続ける天皇陛下
かつての敵と肩を抱き合った野球老年たち
たとえかつての敵同士として、
謝罪の言葉にすることが難しくても
涙を流し、お互いの気持ちを共有することはできるのだ

なぜなら人は善悪を超え、
愛に従うことができるから。

  1. 2009/04/11(土) 22:01:00|
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長根兆半様 ―絵本「愛と嘘」


長根様から、絵本「愛と嘘」へご感想・ご意見を頂きました。長根様からは、他にもご感想や詩などを頂戴しています。

長根様、ありがとうございました。

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絵本「愛と嘘」を読んで・・・。
綺麗事ばかりを言う人は、それに縛られ、嘘をつく。
嘘も方便、場合によっては、宝になる。
嘘から出た真(まこと)、と言うのもある。
「腐婦女子デカ」と言うTV番組を見た。
「なぜ、殺したの?」=警察
「殺してみたかった。なんでも経験しろって・・・」=犯人
この正直な台詞に、唖然としたが納得した。
殺人の良し悪しはひとまず置いて、この犯人の台詞に間違いは無い。
・・・なんでも経験しないと、解らない・・・
確かに言われても来たが、言っても来た。間違いは無い。
ハエを殺したり、ゴキブリを殺すのと、人を殺すのとでは、確かに、どこかが違う。「違う」とか「まさか、そこまでは」とか「ヤバイ」とか言ったりするが、じゃ、なぜ? と聞かれると「????????」となってしまいがちだ。
殺虫も殺人でも、行動に至るまでの気持ちは同じだ。
考えてみてください。
なぜ虫を殺しますか? と聞かれ、そこに虫が居るから・・・だけの理由ではない事に気が付くはずです。
しかし近年の殺人事件の中には、戦争を含め、まるで虫を殺すように殺人をやっている事が目に付く。
これは社会が『どうして?』と言う言葉で『水平思考』になっているからだと思う。もしも貴方が、『なぜ?』と言う言葉を持った時から『垂直思考』を兼備したと言える。
(一般には「どうして?」も「なぜ?」も同義語ですが、あえて区別しました)

水平思考というのは、平らに言うと、売り言葉に買い言葉でしかない。
自分の花と隣の花を比べるようなものだ。
垂直思考と言うのは、より内面を考えると言う事だ。
花はなぜ咲くのか、冬枯れの木の、どこに来春の花があるのか、探っていく。
私たちの世界は立体、三次元の世界と言われる。
時間の軸を入れると四次元になるらしいが、ま、日常ではあまり具体的に必要とはされないと思うので、省きます。
日常生活が三次元なら思考も三次元、つまり立体思考のほうがいい。
何のことは無い、水平と垂直をあわせれば、いいだけだ。

「なぜ、殺したの?」
「殺してみたかった。なんでも経験しろって・・・」
劇中、周りの人も激怒(水平)はするが、警察が納得する話(垂直)は出なく、法律(水平)があるから、で締めくくっていた。
殺人と言う結果に対して、生命の貴重さを語る時、生命の起源(水平)にまで遡り、自他彼私の心(垂直)を思索する事ではないだろうか。
  1. 2009/04/08(水) 11:11:20|
  2. 感想文:絵本「愛と嘘」|
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長根兆半様 -生命の希少価値(エッセイ)


長根様から、生命の価値に関したエッセイを以下の通り、頂戴しました。
長根様からは、絵本への感想文や詩など、たくさん投稿を頂いています。

長根様、ありがとうございました。

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「生命の希少価値」

誕生①
乙武広匡(おとたけひろただ)さんの書いた「五体不満足」を読んだ。
日本第三位の売り上げと言うから、ほとんどの人が知っているのだろうと思う。何はともあれ、両親の対応が凄いと思った。後は言うまでもないと思うから、それは省く。
ただ、ひょいと気になる言葉があって調べた。
それは、「五体不満足」の「五体」である。
読者の方も辞書を引けばすぐ出てくるが、
A)頭、両手、両足・・・で五体。
B)頭、首、胸、手、足。
C)筋、脈、肉、骨、毛、皮。
辞書には、このような分け方で、五体を言っていた。
私も子供三人孫三人、他でもずいぶんと新生児を見てきたが、五体満足、ま、五体と言う場合、まず手足が浮かんだ。次に耳とか鼻や目、つまり全体から見て、突起している体の部分が浮かんできていた。
そして、上記の分類の仕方に疑問を持った。
C)は漢方医学での分類と言うから、そっちへ置くとして、A)B)を合体したわけ方のほうが納得いくんじゃないかと思った。つまり
D)頭、胴体、手、足、全身で五体。
いずれにしても、全身を言い表しているわけだから、どうでもいいじゃないか、勝手にすればぁー、と言われてしまえばそれまで。
ところが、後に書く予定で居ますが、この考え方は、大きな問題に発展します。どうか記憶に留めて置いてください。
なぜこんな事を書こうと思ったのかは、ラボルガで過日、ヒロさんのマイ・ノートで、毎日新聞の記事を読んでの事です。
つまり、生命は、どのように大切かを書こうとしている訳です。
あちこち調べながら書き続けたいと思いますので、間が空くことがあるかもしれません。もし皆さんに疑問・意見などが湧いた時は、最後まで読んでから、などといわず、即刻言ってください。―――では②へ行きます。

誕生②
①でお断りをしておくのを忘れたので、それを言います。
この話は、私の得た知識と体験を合体して書いています。
それでは、まず、紙と鉛筆をご用意ください。
グラフを書くように、縦と横に線を引きます。
縦に地球の環境度。横に時間の経過。
縦横の線が交差する所を左下に、そこを「0」にして、上に行くほど現在の環境に近くなる。横の時間は、右に行くほど現代に近づくと言う具合です。
私は見たことがないので、知識でとしか知っていないが、「0」に当たる時期は、ビッグバン直後と思っていただければいいです。
NHK・TVなどでもやっておりました。とにかく地球全体がマグマの玉、雷、雨、風(空気)、いろんな化学反応や分離合体を繰り返し、やがて生物の元が発生し、生物が現れる。
さて、いきなりですが、死骸はなぜ自ら動かないのか、医学的には説明が付くのでしょうが、いくら解剖しても心が見えないと言う話はよく聞くとおりです。感情はどこへ消えたのか、心身ともに・・・と言う。
「身」は解るが「心」がどうも、「身」は見えるからすぐ判る、お医者様もわかる。「心」は見えない、見せろと言われてもはいどうぞ・・・とはいかない。
じゃ、無いかと言うと、有る事は解るが裸になって体を見せるようにしては見せる事も見る事も出来ない。
ただし、行動として心を表現する事はできる。
あまりにも当たり前過ぎて、がっかりするかもしれないが、ここで解るように、心と体は一緒だから良い。
死骸が動かなくなるのは、肉体が機能停止する事で、心を表現できなくなった事だと思う。
寝相が悪いとか、墜落の夢を見て、驚いて目が覚めたら、布団からはみ出していた。経験者は多いと思う。
これは夢の中とは言え、心が体を動かした、と見ることは出来ないだろうか。
死骸が動かないのは、心がなくなった。
否、心が離れた・・・どこへ行ったか―――③へ。

誕生③
心はどこへ行ったか、戻ってくるのか??
さて、ここで再び、ビッグバンに話を戻す。
地球とか宇宙を研究されている学者さんたちは、かつてビッグバンは4回あったと語っている。
しかし第一の時と第二の時をつなぐ理論はあるが現物がないとも言う。
だから他の天体・惑星を調べ、理論の裏付けをとるとも言っていた。
私は生まれる前、なんだったんだろう、生まれ変わっても貴方と一緒よ。
こんな会話は冗談めいていながら、人は誕生前への探求や死後への夢みたいなものを持っている。
もちろん理論的に説明しろ、なんていわれても出来はしない。
ただ漠然とながら感じ、漠然とながら口に出しているに過ぎない。
いや時には本気の時もある。いずれにしても、感覚的には誕生前や死後を否定はしていない事がわかる。
ビッグバンの第一と第二をつなぐ物証がないと同じく、誕生を境に前後のつながりがわからない。死を境に生と死の繋がりがわからない。
理論はあるが一概には信じられない。
科学者の言うビッグバンと生命の誕生は実によく似た状況にある。
ここで一冊の本を思い出した。確か「カルマの法則」と言ったか、五島勉と言う人が書いたと思う。(間違っていたらごめんなさい)
何しろ、一度死んで息を吹き返した人の話や生まれ変わりを語る人の話が満載だった。カタリかヤラセかと思いながら読んだが、どうもオチョクルわけには行かなくなっていた。
どこまで本とで嘘なのか分からなかったが、否定することが出来なかった。
むしろ素直に認めるほうが、心は軽くなったことを覚えている。
ここで私は、過去現在未来、つまり誕生前、0歳から???まで、 そして死後、これは繋がっていると言う前提に立つことができた。
そんな馬鹿かなと、言う人も居ると思うが、私には繋がっていると思うしかない。体は生まれて死んで腐るだけと、誰でも知っている。
では心は――④へ

誕生④
ここらあたりから想像であり、直感でしかない。見て来た事がないから、仕方が無い。
ただ、将棋や囲碁ではないが、ああ来てこうやればそうするかな、よし、じゃ、こう打つか・・・やっぱり・・・こんな感覚で、こう言う事があって、ああいうことを経験した。するとこんな風になっても可笑しくないな。否そうじゃない、ああなるだろう、こうなるだろうと思っても、一番納得できる想像と言うものが出てくる。
なんと言う心理学者だったか、フロイトかな、それはともかく「夢は死への訓練」と言った人が居た。
夢の中でどれだけ自分を意識できるか、私の体験だが、ウサギの目は赤いと思うと本当に赤く見えた。あまり楽しい夢なので、これは夢だよ、つねってみれば分かると言って本当に夢の中でつねったが、やはり痛くはなかった。つまり感情はあっても感触がない。
眠って見る夢の世界と死後の世界は同じに思うようになった。
昨日、夜、今日・・・これは連続している。生、死、生も同じじゃないかと思える。ウナギ職人さんがよく言っていた。沢山のウナギを割いた日の夜、夢でまでウサギに追いかけられた・・・と。
ウンザリするほどのウナギを割いての話だが、確かに心に残った感情は夢に出てくる事がある。
すると、どんな思い、どんな感情で死を迎えるかということが、死後の世界を決定するのではないかと想像できる。
さて、ここで以前に書いた棒グラフの話に戻る。「0」の次、地球は火の玉ながら風や雨、雷などで化学物質が(A)離散集合を繰り返し、(B)たんぱく質などが生成され、(C)精子や卵子が出来た。
このABCを各棒グラフで、A現在地球上に存在するあらゆる動植物の原型がこの時期に発生したと思う。だから猿が進化して人間になったという話は嘘だと言える。
生物の原型と言ったが、このとき、この瞬間が問題だ。―――⑤へ

誕生⑤
解りやすいと思うので、人間をとって話してみたい。
ビッグバン以後、何万年かして、地球上に精子と卵子が誕生する時期が来たが、それ以上には生きる環境ではなかった。受精が出来る環境が来て受精した。だがここまでの環境でしかなかった。環境が整うに従って、受精卵は成長の度合いを長くする事ができた。やがて人間の自然発生があった。
同時に生物が自然発生できる環境は変化をし、人間は母の子宮内で行われるようになった。人間同士で子孫を作れるようになった。
話を「0」点に戻す。
タンパクなどが結合して自ら行動をとる生物が誕生する時、これは目に見える形を成しているが、目に見えない心はどうなるか??夢から覚めて、自らの肉体を感じるような現象が起きたのではないか。
生まれ変わりがあるかどうか実感はないが、・・・・だったかもしれないと言う想像はできる。
しかし、もし鶏に生まれ変わっていたとしたなら、どうだろうか。
人間と鶏(人間以外の生物)の間には、共通する言語がない。有っても極限られている。だから確認は出来ない事に成る。
ある学者が、精子と卵子だけでは子供が出来ない、と言った。
彼は、精子+卵子+生命で誕生基盤は出来る、そう言った。
つまり死とは、肉体と生命の分離現象であろうか。
そして誕生とは、肉体と生命の合体現象だといえる。
花笠音頭と言う民謡だったか、「・・・三々九度の杯を交わすところで目が覚めた・・・」と言う歌詞が有る。
もう一度寝て、この続きを見ようと思っても、99,9%無理だ。
ところがたまにある。私の経験で、2度あった。
そう簡単に夢を操作できない。夢の中で、好きな所へはいけない。
行こうという意思・感情はあるが、場面は勝手に次々と変化してしまう。
どんな力が作用しているのだろう??
宗教家は、この力を「お題目」という。ノーベル科学者に言える台詞ではない。当然私にも言えない。さて肉体と生命の合体現象、それは⑥で・・・

誕生⑥
皆さんは、海亀の産卵・成長をテレビで見たことがあると思う。
あるいは鰯の生態とか鮭の産卵、様々な動物の誕生など、科学の発達で、こうした生態系をテレビで見ることが出来る。ありがたい時代だと思う。
お気付きかと思う。単細胞生物に近いほど、その誕生数が多くなる事を。
黴菌や名度は、ミリ単位の範囲に何万と言う数が生息しているのがテレビでやっている。
美味しいウニの繁殖期には、精子で海岸が牛乳色になる。
春先の花粉で空が変色し、人間が反応して花粉症などが出る。
哺乳類で一度の出産記録は、豚の40数頭と言うのがあり、人間では日本の五ツ子に続いて米国での八ツ子・・・でしたか、つい最近の話。
これらは、まったくほとんど稀、大概は多くて三ツ子、普通は一人だ。
さて海亀・・・あれでも解るように、沢山の卵から、卵を産む事の出来る親亀に成れるのはかなり少ない。一割もあるのかどうか。
巣から這い出た小亀はカモメの餌に、カニや魚の餌になっている。
他の生物も同じような過程がある。弱肉強食とはうまい事を言ったと感心する。これと同じことが、人間にはないのかあるのか??
これもテレビで見たのだが、一個の卵子に数億の精子が群がる。
たまに一卵性双生児といわれる一個の卵子に二個の精子が受精したのを言うらしいが、なんとも競争が激しい。この時点で数億分の一だ。
さらに生命が入るかどうかとなると、ほぼ無限分の一になる。
あ、ここで言って置きます。無限と言うのは一十百千万・・・と同じ数値の単位です。億、兆、京・・・無限・・・と並んでいる一つの単位です。
普段の生活で使わない単位なので、宇宙は無限などと言うように、かなり沢山、とにかく一杯の状態を私たちは無限、と言う言葉で表しているだけです。こうし   て一応妊娠と言う事になるわけですが、果たして全部が誕生するか、となると又障害が出てくる。
中国では少子化政策などが取られているが、性交をやめたのか? そうじゃないだろう。日本では自然現象的に少子化が進み、将来を危惧している。日本人は性交をしなくなったのか? そうでもないだろう。性交はしたいが子は要らないという事がある。産児制限―――⑦へ

誕生⑦
産児制限は個人の意思で行われる事もあるが、早産、流産、死産さらには夭逝などが起こり、悲しみに包まれる。性交は飽きるほどしているのにまったく妊娠しない人すらいる。そして切実な問題を抱える事もあるようです。
いろいろ言ったが、これほどまでに、人間になることは困難な事だと言うことです。
確立無限分の一の門をくぐり、数億分の一の門をくぐり、五体満足でも不満足でもいいが、人間として誕生するまでには「無数劫(これも数値の単)分の一ではないだろうか。もっと競争率は激しいと思う。
産児制限といっても、そこに人間の意思を反映させる事ができるのは、せいぜい千万単位でしかないと思う。日本の人口が1億3千万人というから、10の7乗だが、人間が人間として誕生できるのは、計算上の最低で、10の75乗分の1だという。最低で、です。現実はもっと確率は高くなる。
自覚も出来なければ知ることも出来ない世界だ。
こうした競争に勝って、私たちは人間に生まれたと思うと、なんともそこはかとなく嬉しくなるが、どうだろうか。
何を奪われても、この喜びだけは奪われたくない。
だから古来、不老長寿の薬に人間は目を向けている。
小皺を気にする、肌艶を、抜け毛を、老齢をと健康に気を遣い、食べ物を考える。ビタミン剤とか医薬品を研究開発する。
どうでもよかったら、クローン牛肉に首を捻ったり、農薬や毒入り餃子を騒ぎはしない。
せっかく人間に生まれたのだから、健康で長生きしたい。
これは競争に勝ち抜いたことを、本能的に知っているからではないか。
その証拠に、入学や社会的な競争に勝ち抜いて得た地位や金に、人間は執着するではないか。
人間になる確率の高さを言ったが、宇宙には生命が満ち溢れている。
何かの縁で・・・何かと言うのは、全生物の交配に生命が加わる事、つまり見えるものと見えないものとの縁ということだ。
これもご縁と思って、縁があって一緒になりました。この縁。では⑧へ

誕生⑧
ここからは、私が学び、経験から体得した事を基に書きます。
「縁」・・・・・結婚就職お友達、何かにつけ「縁があって・・・」と言う言葉を日常的に使っている。親子も縁の問題だ。
子供が、頼んで生まれたんじゃねぇ、などと言う事を聞く。
確かに親は、肉体としての子供を希望したが、その子供の性格までは希望していなかった。希望したにしても、果たして希望通りかとなると、やはり難しい。・・・と言うものがある。子供だって、肉体に対しては望んでいない。といえても、目に見えない自分は本当に望んでいなかったか・・・いないと断言出来はしない、なぜかなら、受精時期に、すでに自分はそれと合体していたのだから。あの時、自分はどんな意思を持っていたのか、又親はどんな意思を持って子の性格を選択できたか、限りなく選択不可、に近いと思う。つまり親子は、お互いに選択は出来なかったと言う事になる。
しかし縁があって親子になった。としか言いようがなくなる。
親は、十月十日の満を持して子の誕生を待って、さらに観察をする。
それこそ五体満足かから始まって、目、耳、鼻、口と次第に細部にわたり観察し、どんな人に成長するのかと夢を持つ。
子供を見ているだけで親の希望は膨らんでいく。
母親は、私が産んだ子と自信たっぷりだが、父親は、フーン、これが俺の子かぁ、とややくすぐったい感覚で子供をみる。いや私はそんな感じで見ていた。さめていたとは言え、嬉しさで身の回りがそわそわした。
最初は男だったからか、いつかは一緒に酒を飲みたいなぁ。
どんな彼女を連れてくるかなぁ。などとあらぬ向こうに夢が飛んだ。
そして男らしい人間になってほしいなぁ、と思った。
が、ここで、男らしいってなんだろうか、と思った。
漠然とした思いで言っている自分に気が付いた。
これが『縁』で読書熱が高まり、3歳までは体罰を伴い、5歳までに生命の大切さを語っておこうと思った。どんな環境がいいかを考えた。この子が理解できる言葉を使って、語ることに日夜を使い、語った。私が25歳の頃だ。
貧乏だった。紙とクレヨンは有った。

誕生⑨ 「私のやった基本教育」
紙にクレヨンで「柱」と漢字と仮名カタカナ混じりで書いて柱に貼った。
襖に、花瓶に、畳に、机に、押入れに、障子に、テレビに、ラジオに、目に付くものの全てに貼った。私の背には「お父さん」と書いて貼った。
これは私が発明した事ではなく、図書館で幼児教育の本から見つけたことだった。金がかからなく簡単に出来ると思ったことは確かだったが、本を読んで納得できたからやった。
一週間か十日ぐらいした頃、柱から貼った紙をはがし、これはなんだい、と聞くと、『はしら』と応えていた。これを繰り返し、間違ったらお尻を少し痛いぐらいにピシリとやる。三歳前までには、家に貼った沢山の張り紙の文字と、現物を完全に言い当てていた。私は、子供が文字を覚えたとは思っていなかった。文字と現物が合えばいいと思っていた。満三歳になるころから、私は息子を股に抱き置いて、声を出して本を読んだ。息子は抱かれた心地よさで、すぐに眠ってしまう。それでも私はかまわず声を出して読んだ。
何度かやっているうちに、息子は読んでいる本の中から、見覚えのある文字を指し始め、声を出して言い始めた。思い切り褒めた。
褒められれば嬉しいから、本の中から知っている文字を探すようになっていった。やがて、文字から文句に行き、文章に行った。やがて幼稚園に行くようになると、全てやらなくなった。まあ、こんなもんだろうと思っている。
五歳までにやる事をしたという満足はあった。本を嫌いと言うより好きになって欲しいと思ったが、何も言わなかった。抱きかかえて遊ぶ事も少なくなっていった。親と遊ぶより、友達と遊ぶ事が楽しいと言う事になっていたのだと思う。
息子は高校へ行ってから間もなく、喧嘩が原因で部活停止の処分を食った。私は学校に電話した。「部活停止じゃ、若いエネルギーはさらに喧嘩へむかう。処分を取り消せ、生徒の力をどう指導するか先生の責任だ、子が先生に対し、どうあるべきかを教えるのは家庭だ。先生が人間の急所を知っているなら、体罰もいい」部活が再会したその年から十二年後に再会した。
息子は社長になっていた。
俺、恨んだよ親父。
当たり前だよな。
でも俺、よかったよ。
そうか・・・。
八年前になる。
二人で酒を飲み、カラオケをやった。

―――終―――


  1. 2009/04/08(水) 00:20:42|
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長根兆半様 -原爆への復讐


長根様から、「原爆への復讐」に関連して、詩を頂きました。
長根様からは、他にもいくつかご感想や詩を頂戴しています。
長根様、ありがとうございました。



---------原爆への復讐を読んでの詩---------------


「熱帯のオーロラ」


たゆとう大河にも似た時の流れに 

足掻きのつぶてと波紋の音は

いつ始まっていつ終わるとも知れない

歴史の刻みか

戻らぬ過去は作為の人間史か



夕凪と風と戯れる少年が

お下がりシャツで一番星を探し

宇宙の運行に心ときめかせば

広がるロマンは

そのまま心の宝石となり

地球を遥かに眺める宇宙への夢に

溶け込んで行った



人類は北半球と南半球の天空に

それぞれ動く事のない星

北極星と南十字星を発見し 

希望と夢を明日に託して生きて来た

だがそれは同時に

人類の意固地と

こだわりの幕開けともなった 



やがて武力の非行へと突っ走しり 

打ちのめし打ちのめされて

泣き濡れて 

武力の勝利も虚しく

心の乾きを持て余す

我が手さえ見失うほどな漆黒の暗闇で

その身は焦熱を抱く



焼け爛れた心は

彷徨う身を引きずり

観る星は違っても

思いの丈は同じと唇を噛む

星々のきらめきに涙誘われつつ

心の足掻きと焦熱は消えることのない

その明け暮れはついに

虚栄で塗り固めた神を作った 



遥か彼方の昔から在ったと云って 

神の使者だと躍り出た者が

聖職の名の基で

人を敵と味方に分断し

人は人を裁きはじめた

新たな奴隷を作ったこの瞬間

人は神の奴隷に成り下がった 



歴史は再び

キリキリと軋んだ音を立て始め 

過去の殺戮を

口では嘆きつつ 

内に

手に負えない黄砂の苛立ちと

嫉みの赤黒い炎の血を隠し持ち 

自らの炎に

隠しきれない不安を抱く



神を讃えて

罵り合う矛盾を繰り返し 

人は天地創造の神の理想から

いかに懸け離れているかを 

思い知らされた果て

やおら隣人と両手を握り合った



その手から伝わり合えた歓喜は

処女の鼓動の早鐘にも似て 

はにかみと希求が入り乱れる 

心を焦がし身を焼いた

灼熱の虚構と

無力の泣き寝入りから

オーロラに眼を見張るが如く身を起こし

人は太陽の勇気に目覚めはじめる
                          


ーーおわりーー


  1. 2009/04/07(火) 09:42:18|
  2. 感想文;原爆への復讐|
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長根兆半様 -一輪の花


長根様から、原爆の廃絶を描く絵本「一輪の花」へご感想・ご意見を頂きました。
長根様からは、他にもいくつかご感想や詩を頂戴しています。
長根様、ありがとうございました。

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この話を拝見し、いくつか気が付いたので感想を書きます。
話の流れは、第2次世界大戦から、東西冷戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争そしてアフガン戦争へと進んでいるように読みました。

1)核兵器の有無による勢力バランスは?
2)善玉の言う「神の意思」これは何か?

まず1)から考えてみたい。
私の思う結論は、核兵器を保有はしているが、すでに使用可能なほど人間は野蛮ではなくなった。狂気から脱したと思う。
なぜかなら、もしどこかで一発あがれば、確実に対抗、迎撃として二発目があがり、三発目があがる。どうなるか・・・?
地球は壊滅する。太陽系には、9個の惑星がある。その中の一つ、地球が消滅するとなれば、宇宙のバランスが崩れ、たちまち太陽系は狂う、太陽系が崩れれば、銀河も崩れる。宇宙はそれぞれの惑星や星がバランスを保っているから安定した運行を続け、月も太陽も綺麗に見ることが出来ている。
それが崩れると言う事はブラックホールが出来、次にビッグバンが起こる。
科学的にこれを知っているから、核の赤いボタンを押さない。
ここにおいて、核抑止力と言う言葉は死語となってしまう。
現在から未来に向け、これからは、神の意思であろうか。
その『神』とは何か、それは、各個人の『行動』だと思う。
人は善悪混在に持っている。
行動が善の時も、悪の時もある。
だから、一人の人間が善神にも悪神にもなる。
ではそれをコントロールできるものは何か?
仏法では、これを『仏』と言っている。
死んだ人が仏ではなく、生きている私たちが『仏』だということを知る必要があり、冠婚葬祭用の仏法ではなく、生きるに活力の出る仏法を研究する必要があると思う。
  1. 2009/04/07(火) 09:37:12|
  2. 感想文:絵本「一輪の花」|
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長根兆半様 -良い子にならなきゃ


長根様から、絵本「良い子にならなきゃ」へご感想・ご意見を頂きました。
長根様からは、他にもいくつかご感想や詩を頂戴しています。
長根様、ありがとうございました。

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「イイ子にしなさい」・・・「悪い事しちゃ遺憾」
まぁ誰でも親なり先輩なりから言われて来た事だろうし、言ってきた。
日常的な事だ。
絵本「良い子にならなきゃ」では、見た目で決めてしまっている。
あるいは決める人の好みで決まってしまっている。
台詞それ自体に対しての応えは、全て『はい』でしかない。
しかし、時と場合によって変わりはしないか?
火災に見舞われている家から物を運び出す時、常に物を運ぶ時はこのようにしなさいと教えられていた人が、丁寧にカバンか風呂敷に包んでから運ぼうとしているとする。それこそ、もたもたしていたら焼け死ぬかもしれない。
女性が誰かに襲われている。
通行人に正義感があって、女性を助けた。
ところが相手の男の腕を折ってしまった。パンチも見舞った。
喧嘩は遺憾、暴力は遺憾と綺麗事を言っていたらどうするか?
ま、少し極端だったかもしれないが、よくあることだと思う。
西洋には神父の服を着たいい子ずくめの人が、自分が姦通した女性が妊娠すると、魔女として絞首刑、焼き討ちにしていた。自分の不義密通を隠すためであった。と伝えられている事はすでに歴史が語っている。
日本のアイドル女性は、お子チャマ言葉と言うのを使うらしい。
イイ子ぶりっ子などと言う言葉もあった。
戦争当時は、人殺しがいい子で、戦争反対は悪い子にされた。
つまり、イイ子ワルイ子の判断は、時代や環境の変化によって変わる。
言い換えれば、普遍性が無いと言う事になる。
どんな時代や環境の変化にも耐えうる価値基準というのが欲しい。
  1. 2009/04/07(火) 09:34:58|
  2. 感想文:絵本「良い子にならなきゃ」|
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長根兆半 様 ―悪と罰


長根兆半様から、絵本「悪と罰」へご感想・メッセージを頂きました。長根様からは、他にもいくつかのご感想や詩を頂戴しています。

長根様、ありがとうございました。m(--)m


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絵本「悪と罰」・・・。ここではまず信号機が出てくる。次がタバコ、殺生、軍隊と続いている。
赤信号、車こなけりゃ渡って良い。
吸殻は、掃除人への人助け。
これは私の住んでいる国で、暗黙の了解で行われていることです。
一人殺すと殺人犯。二人以上が殺人鬼、100人殺すと英雄。
これは戦争を皮肉っているわけだが、絵本「悪と罰」では、自分より強い相手にはへいこらする姿が描かれている、これは興味深い。
日常見ることが良くある。
犬や猫、つまり畜生の世界にもっとも顕著に存在する態度かと思う。
弱肉強食。動物の世界には、相手の命を尊厳するという考えが無いことがわかる。腹が減ったから、殺せるものを殺して食べる。ただそれだけしかない。
だが、人間の場合は、母の胎内で3カ月間以上すると、人間として扱われ、これを殺すと殺人罪になる(ま、臨機応変らしいが、しらない)。
人間でも弱肉強食性を持っているのだが、畜生の世界のようにこれだけでは社会は成立しなくなる。こうなるとここでも、高邁な人間尊重の哲学が無ければならなくなってくる。どうだろうか?
  1. 2009/04/07(火) 09:28:32|
  2. 感想;絵本集、メッセージ・ご意見|
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長根兆半様 -善悪に関するご意見


長根様から、善悪に関して以下のご意見を頂きました。
長根兆半様、ありがとうございます。m(――)m

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善悪、何が悪で、何が善なのかが、わからなくなる場合がある。
たとえば時代劇、人殺しは悪だと言いながら、正義の味方の善玉が悪玉を殺す。
悪玉が人を殺せば悪になり、善玉が殺すと善になる・・・・?
殺人鬼を制裁する法律で、殺人鬼を死刑にする。
どこと無く、善悪は多数決で決まっている感じがする。
俗に、マフィアは悪と言う事になっているが、その組織の中では善になっているのではないかな。強盗麻薬は止めよう、と言った人は、悪の中の善になりそうだが、悪の中で、この善は悪にされてしまう。足を洗って娑婆に出てきても、元マフィアと言う事で悪視されかねない。
善の塊のように見える宗教団体に、たまに見るが、詐欺まがいの事を言って人から金を巻き上げている。そんな事言って金集めるの止めよう。などと言えば、その組織の中では、悪にされてしまう。詐欺を止めようと言っているのだから、善のはずだが、この発言は悪にされてしまいかねない。
このように見えるのは、善悪をきっちり分けた見方かと思う。
ところが現実では、善悪が混在して、一人の人間の中にあると言うこと。
「良し悪し相半ばして人と言う」
善悪は50%:50%だと言うわけだ。よしんば、社会的善悪が多数決で決まるとして、多くの人が発言する。民主主義だ。だが、最終的に、誰かが決定しなければいけない。ここで、金集めのうまい人には任せるわけには行かない。
やはりより高次元の哲学を身につけている人を選びたくなる。
好き嫌いや損得の次元ではない。善悪の次元だ。
  1. 2009/04/05(日) 23:56:35|
  2. 感想;絵本集、メッセージ・ご意見|
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hyuga1960様 -絵本集へのご感想


hyuga1960様から、以下の通り、平和の絵本のサイトへご感想を頂きました。
hyuga1960様、ありがとうございました。


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たまたまサイトを流していたら出会った御サイトでした。

とてもいいサイトですね。
実際に絵本として出版されていたら購入したいと思うくらいです。
また、人にも薦めたりプレゼントしたりしてみたいです。

これはまさにストレスフルでパソコンや携帯文化旺盛の現代に必須の理。

応援しています。

  1. 2009/04/01(水) 10:22:58|
  2. 感想;絵本集、メッセージ・ご意見|
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