とても丁寧なご意見、ご感想と共に、夢が叶うまでの道のりBlogで、なぅなぅ様に絵本「本当に悪いのは誰?」の動画を、ご紹介いただきました。
なぅなぅ様、ありがとうございました!
以下、恐縮ですが引用させていただきます。
⇒引用先;夢が叶うまでの道のりBlog-------以下、引用-----------
本当に悪いのは誰?
2013年06月12日
テーマ:気づき
人は善悪でものを考えがちです。
善は絶対に取り入れるもの。
悪は徹底して排除するべきもの。
ということを誰もが当たり前のように思っています。
自分や相手の中に善を見つけたり、それを取り入れる事ができるととても喜び、自分や相手の中に悪がいると思うと徹底的に排除しようとします。
例えば、
自分の中の悩み(嫌いな人、嫌な癖、嫌いなものなど)=悪
となりえます。
善悪を重要視する人にとって、悩みは悪なので徹底して排除すべき問題となります。
しかし、簡単には排除出来ないのでとても苦しみます。
しかし、悩みを悪と捉えなければ、悩みに苦しむことはありません。
人が悩み苦しむのは善悪に縛られすぎているからとも言えます。
自分は完全なる善でなければならない、少しでも悪の部分がある自分や相手が許せない・・・と。
悩み(悪)がある自分や相手をどうしても許せないのです。
そもそも、善はとても良いもの、悪は絶対許せない、排除するべき存在・・・・という考えができてしまった背景には、
小さいうちから気がつかないうちに「正義のために悪と戦おう」という命令?が無意識の中に刷り込まれています。
それが教育の中にも存在するし、子供に人気のあるヒーローアニメの中のも多数存在しています。
そんな「正義のために悪と戦う」という考えが当たり前になる環境で育った人間は、大人になってからも
善悪の目線で物事を見ることになりがちです。
そんな人間は、自分にも、相手にも、国家にも、世界にも、何にたいしても善悪の目線でものを見るようになり、偏見につながります。
そして、自分の中にある悩み(悪)、嫌いな人(悪)に対しても、過剰に反応してしまい、嫌悪などの感情に振り回されることとなります。
相手の背景を見ることなく、一見悪いと思われる行為をした人を単純に「悪人」と決めつけ、徹底的にやっつけようとしてしまいがちな傾向に気がつくべきだよねぇ・・・。
自分の中に嫌悪感や嫉妬などで感情が揺さぶられる問題があるとすれば、嫌悪感を持った相手に対してや自分の嫌な悩みを嫌悪して排除することに必死になるのではなく、感情を揺さぶられて不快な気分を与えられた原因はなんだろう・・・って根本を掘り下げる作業に焦点を当てることが重要だと思う。
表面上の「あいつは嫌いだ!」「私は嫌な気分になった!」ってだけじゃなく、
なぜ、私はあの人が嫌いなのか・・・・?なぜ、あの人はあんな行動をするのか?なぜ、私はあの人のあの発言に酷く感情が揺さぶられるのか?なぜ、あの人の行動で私はこんなに苦しんでいるのか?など、もっと深く深く、自分の心、行動、感情や相手の心、行動、感情を理解をすることが必要だと思う。
そこんとこの、根本がわかって解決されると、もうその問題には悩むことはなくなるし、相手のことも自分のことも理解できて、すっきりすると思う。
自分の心や相手のことをよくわからないままで「嫌い!」と思っているうちはずっと何かあるごとに不快な感情が湧き出してくるんだろね。
こころと向き合う というのはそういう事だとおもう。
自分の心、相手の心の動きをよく見ること。
そうすれば、ことあるごとに感情に振り回されてイライラするってことは減ってくると思う。
それにしても善悪の観念というのは人類の普遍的無意識、元型ともいえるんだろうなぁ・・・。
だからヒーローが悪をやっつけるというような映画やアニメが人気があるのが頷ける・・・。
ああいうのは・・・うまいとこ人の心理を利用しているよねぇ。
人は大きく感情を揺さぶられるものに大きく反応する仕組みになってるからね。
苦労して悪をやっつけて、善のちからは偉大だ~!みたいなのって相当清々しい気持ちになるんだろなぁ~って思います。
ほかにやり方あるだろうに、なんであんなに力づくなんだろう・・・あの世界は・・・。
でも、悪い奴は懲らしめないといけないから、どんなに暴力的な行為でも許されるんだろね、あの世界では。
小さい子が見たら勘違いするよね、悪はどんな手を使ってでもやっつけろ。それが相手を殺すことであっても・・・。
大人だって、戦争で相手を攻撃して、殺すことも厭わないんだから。あれって正義のためにやってるつもりなんだろうけど。
でも、そんな風に力づくで悪をやっつけているつもりでも、悪だと言われてる存在もワケがあってその行為をやっているわけだから(相手にとってはそれは正義のつもり)永遠に戦争はおわらないよね。
相手の気持ち考えないで、善悪だけで決め付けるってホント怖いよね。
戦争やテロだって根本にある原因をつきとめて、そこから解決しないといつまでたっても問題は解決しないよね。
そして人類が善悪に錯覚しているあいだは平和が来ることなんてないんだろうな~。
まずは、目の前に怒っている人がいる時、
「え?自分がなにか怒らせたのかな?、何か悪い出来事があったのかな?」などと、相手の怒りの理由を想像する。
つまりは、相手の立場になって考える。
…人がこういう習慣を持っていれば、人々が仲良くすることは決して難しいことではありません。
しかし、目の前に怒った人がいたとき、「こいつ、悪い奴だ」
人がこう考える習慣を持っていたなら?
…誰とも仲良く出来ませんね。もちろん、自分自身とも。
相手を「悪い奴だ」と思った瞬間に、人は善悪の目隠しで盲目になってしまいます。
目隠しが悪いと言っているのでも有りません。そうではなく、目隠しをして道を歩けば危険だよ、と言っているのです。
つまり、目隠しをしていては、歩く道も、テロの原因も戦争の原因も見えなくなってしまいます。
さて、目の前に怒った人がいたとき、背景も考えずに単純に「こいつ、悪い奴だ」 と。
もし世界中の人達がそんな風に単純に判断する習慣に染まってしまったら、どれほど平和を祈ろうと反戦の叫びをあげようと、平和の達成など夢のまた夢なんでしょうね。
人が人(自分自身も含めて)を見るとき、
相手や自分の感情を見て、その原因を見る。…つまりは、人の心を見るのか。
相手や自分が善人か悪人かを見る。…つまりは、善悪を見るのか。
この2つには、決定的な違いがあるのです。
この違いを、自覚すること/世界に知らしめる事。
それだけのことで、個人の心の平安に大変有効ですし、同様に、テロと戦争の抜本的な解決、国際的な平和協力つながるのではないでしょうか
ってことでした。
ここのサイトの動画は一見安っぽくて胡散臭く見えるのが難点だけど(笑)、確かに頷ける内容です。
もっとこういう情報を人類で共有して気づくべきなんだと思う。
そうすれば、個人にとどまらず、世界も幸せな平和に近づいていけるんではなかろか。
愛は大事だけど、まず愛を知る前に、こういった偏った思い込みに気づかないと愛は力を存分に発揮できないのではなかろか?
愛のために戦おうっていう心の目隠しもできそうだからね。
戦いたくないって人を、悪とみなしてその人を攻撃するという悪循環に陥れられるのである。
いじめだってそうだよね。
いじめっこ(正義だと思ってる)はいじめられっこを悪として攻撃している。
でもいじめたくない人もいる。
でもいじめっこ(正義)からみるといじめに加担したくない人も(悪)だといって、
いじめに加担したくない人(悪)も攻撃するぞ!と脅す。
いじめに加担したくない人は攻撃されたくないので、嫌々ながらいじめっこの見方になる(正義?)
みたいな仕組み・・・。
有無を言わせずそうさせられてる。
すべてがそうではないんだろうけど、善か悪かしか選択にない、もしくは善か悪かで物事を判断するって・・・非常に危険である。
http://www.j15.org/Picturebook-WhoisBad/index.htmlそもそも、私が心の中の中に存在している善悪の問題について考えるようになったのは、
橋下さんの慰安婦問題が勃発し、この問題の原因(慰安婦問題、沖縄問題)よりも、橋下さんが悪だ!謝れ!といって一方的に攻めつづけている様子をテレビで見たことから始まったんだけど・・・ね。
善悪に振り回されて感情に振り回され、人を責め立てるよりも、こういう陰に隠れた解決すべき問題に早く気がつくべきなんじゃないかな?
- 2013/06/19(水) 10:31:05|
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