ありがとうと感謝の気持を平和の絵本から。

舞 様:「平和の絵本」から、ありがとう

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「平和の絵本」への応援、ありがとうございます。直接、御礼を言えないことも多いのですが、この場を借りて感謝の言葉を述べさせて下さい。またこのブログでは応援してくださる皆様の声も御紹介したいと存じます。

舞 様


18歳のイラストレーター、舞さんから、以下のような素敵なメッセージを頂きました。
舞さん、本当に、ありがとうございました。M(--)M

----------------------------

【善悪の在り方】


 
 『善とは何か?悪とは何か?』
このテーマは、私がずっと追求してきたものです。
 
 初めて「魔法のメガネ」を拝見させて頂いたとき、私の中に
在ったものと、この絵本に在るものとがピッタリと合わさる感
覚があり、今回、「魔法のメガネ」の挿絵を描かせて頂きたい
と思いました。
 素敵な機会を頂き、本当にどうも有り難う御座いました(⌒
▽⌒*)

 この場をお借りして、私の思う【善悪の在り方】について書
かせて頂こうと思いますが、考え方は様々だと思いますので、
これもひとつの在り方として読んで頂けたら幸いです。

 私は、人として最も大切だと思うことは【受け入れる】とい
う姿勢だと思っています。

 受け入れる、ということは、一から十までの全てを肯定する
という意味ではありません。
 違うと思うなら違うと言うべきだし、自分の在り方はしっか
りと示していくべきものだと思います。
 【受け入れる】ということは、相手の立場・在り方を理解し
てあげるということ。自分の土台の上でだけで、モノを見ない
・聞かない・言わない・考えないということ。

 人というものは、それぞれの在り方が、自分の体験・経験を
通して成り立っているものだと思うので、どうしても「自分が
正しい」と思い込んでしまいがちな上、自分の中にはないもの
を拒んでしまう傾向があるように思います。
 その結果、目が曇ってしまい、善を善としか、悪を悪としか
捉えられなくなってしまう。
 そして、善は悪でもあり、又、悪は善でもあるという「裏側
」に気が付かないまま、悲しい事象が増えていく…。
 
 学んできたベースが違えば、当然、それぞれの持つ考え方・
価値観が異なってくるのは当たり前で、しかし、だからと言っ
て、在り方の違う相手をつまはじきにするようなことはどうな
のでしょうか。
 そういう意味では、“善し悪し”で判断することを休め、「
それは私の中にはなかった在り方だけれども、その在り方も“
アリ”だよね」なんていう、もう少し寛容で柔軟性のあるモノ
の見方も必要になってくると思います。
 
 私は、何事に対しても善し悪しをキッチリと付けなければな
らないとは思いません。
 物事に対し、是・非で判断していくということは確かに必要
なことではあるけれども、自分の中の“善い”だとか“悪い”
だとか、“正しい”だとか“正しくない”だとかの先入観・固
定観念を取り払わない限り、物事の本質や、相手の人質という
ものは、なかなか見え辛いものがあるのではないでしょうか。

 なかなか難しいことではありますが、これが私の思う【善悪
の在り方】であり、【受け入れる】という姿勢です。


関連記事

  1. 2005/11/19(土) 13:43:14|
  2. 感想;絵本集、メッセージ・ご意見|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2
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コメント

『ひとつにならなくていいよ
 認め合うことができればさ
 もちろん投げやりじゃなくて
 認め合うことができるから
 ひとつにならなくていいよ
 価値観も 理念も 宗教もさ
 ひとつにならなくていいよ
 認め合うことができるから
 それで素晴らしい』
  (Mr.children/『掌』より)

理解できなくても「認め合うこと」が出来たら良いですよね。

「善・悪」という概念は、人の「愛」から生まれたのだと私は思います。
それは、何故「悪」としたのか、何故「善」としたのかを考えると分かります。
そこには自身の「向上心」と「後悔」があるのかもしれません。
何故「向上」するのか。それは「善い」ことだから。何故「善い」のか。それは「向上」することによって「達成感」等の「至福」、「快楽」を得ることが出来るから。そして、それは、他人の「害」にならないから。一般的にそういうものではないでしょうか?
人の為になることは「善」とされる。それは、そこにある「愛」をとても「大切」だと思ったからではないでしょうか?
「悪」の先には「後悔」があるのでは?或いは「罪悪感」が。だから、避けようとする。
それが「善・悪」の出来るきっかけだったのではないでしょうか?
もちろん、「自己愛」から始まったものでしょう。
ですが、「悪」に対する遣る瀬無い「怒り」や「悲しみ」は「愛」の裏返しです。
人を思い遣ればこその「怒り」、人を思い遣ればこその「悲しみ」でしょう?
人は人を愛しているから「善・悪」を作り出したのではないでしょうか?
私はそう思います。
すみません。コメントのつもりだったのに…
コメントになってませんね(汗)
脱線してしまいました…
  1. 2006/07/15(土) 22:58:16 |
  2. URL |
  3. OBLDA #FU5iNRZc
  4. [ 編集]

素晴らしいメッセージですね
18歳のお嬢さんということで更に驚きました。
私が18の頃は、まさに善悪中毒真っ盛りの時代で
宗教に嵌り、強信だった為、他者を裁きまくっていたし
世の中すべてが悪に見え、そんな悪い世の中は
大嫌いだったから滅びて当然、滅びてしまえと
思っていましたからね。
きっと神仏の裁きが下ると…
信じちゃってました!(はずかし~)
今にして思えば、この世の悪に対する凄い恨み
恐怖に支配されていたんですよね
魔法のメガネの男の子に似たところもありましたが
被害者意識が強かったとおもいます
さて、そんな私でも、舞さんのメッセージに共感したり
理解出来る様になって良かった訳なんですが
いまのわたしから見ると、今時の若い人達は(失礼)
私達の頃より、善悪中毒が、
良い意味でも悪い意味でも?薄まっている気がする
というか、私の歳の離れた妹なんかもそうなんだけど
生まれつき、善悪、優劣にあまり興味がなく
そのかわり、損得にかなり囚われている傾向が
あるようにも思う。
まあとにかく、舞さんの様な若い人が居るということは
おじさんは希望がもてて、うれしいです。




  1. 2006/06/09(金) 04:16:08 |
  2. URL |
  3. かっさん #-
  4. [ 編集]

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