GivingTreeさんから、絵本「一輪の花」に関連してお手紙・メッセージをいただきました。
GivingTree様、ありがとうございます!
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。M(--)M
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TOGOさん、お久しぶりです。
以前、「憂国のサムライへの手紙」を転載させていただいたGivingTreeです。
今回、ある記事を読んでBLOGで核廃絶を考えるようになり(※1)、その具体的な方策についてWebでどのような考えが述べられているかを調べているうちに、TOGOさんの作品を見つけることができました。
善悪の錯覚という観点で『核』を考えると、日本では一部の人たちがすでに「善悪を越えた苦しみ」から『核の当事者』を救おうと、行動を起こしていますね(※2)。この仏教僧たちのいう「破滅の輪を閉じる」という考え方、これはTOGOさんの「一輪の花」にも通じる考え方なのだと思います。ただ、「一輪の花」が『謝罪』の象徴であることに対して、「原爆の火」は『赦し』の象徴であるという点だけ、違うのかもしれません。つまり、「一輪の花」の対となる考え方といえますね。
このように『謝罪』と『赦し』が対になって実現したときはじめて、核廃絶は実現するのかもしれません。TOGOさんの作品を読んでみて、『謝罪』がもつ重要性は理解できたのですが、罪悪感や自責の念からくる自発性というものを、いち国家の首脳に期待できるものか疑問を持ったからです。そうした自発性を促すものは何なのか。私はそれが『赦し』だと思いました。そして、現実の世界ですでにその矢は放たれているのです。後は、『赦し』に対してもう一方の『核の当事者』がどう応えるかですが、2005年に放たれた『赦し』の矢に対して、『謝罪』の言葉はまだ返ってきていません。しかしその一方で、※1のBLOGで示したような動きが米政界で起きているのもまた事実です。
すでに放たれた『赦し』という行動に対して、等価の『謝罪』というものは期待できないかもしれません。また自発的なそれも、期待できないものかもしれません。しかし、史上初の核の使用後60年以上が経過したいまになってやっと、核廃絶の光明が見えてきました。国家という無機的な存在による政治的な決定について、『謝罪』という人の善意に拠った解決は見込めないかもしれませんが、国家ならではの責任の取り方として、具体的に核廃絶を目指すという代替行動はとれるのかもしれませんし、『核の当事者』のもう一方の当事者である私たち日本人は、この代替行動を受け入れて『赦す』べきなのかもしれませんね。
TOGOさんの心の琴線に届く絵本にはいつも考えさせられます。
静かなる平和の闘士である貴方を引き続き応援します。
いつもfood for thought(インスピレーション)をありがとうございます。
※1
http://blogs.yahoo.co.jp/givingtree/43061821.html※2
http://blogs.yahoo.co.jp/jnicc_org_tk05/53676360.html(これも私のBLOGです)
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- 2008/07/03(木) 22:25:13|
- 感想文:絵本「一輪の花」|
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