ありがとうと感謝の気持を平和の絵本から。

川本ゆり 様 -罰とイジメと自殺のロンド:「平和の絵本」から、ありがとう

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「平和の絵本」への応援、ありがとうございます。直接、御礼を言えないことも多いのですが、この場を借りて感謝の言葉を述べさせて下さい。またこのブログでは応援してくださる皆様の声も御紹介したいと存じます。

川本ゆり 様 -罰とイジメと自殺のロンド


川本様から、「魔法のメガネ」へのご感想に引き続き、絵本「罰とイジメと自殺のロンド」へ、ご感想をいただきました。

川本様、誠にありがとうございます!

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タイで性別適合手術を受けたMTFです。「魔法のメガネ」にも感想を書かせていただきました。この「罪とイジメと自殺のロンド」を読んで校則や管理教育と全体主義の深いつながりが改めてよく理解できました。つまり、一人一人の個性を無視して協調を強いることが、つまり制裁も伴う校則や制服が集団において基準から外れた個人をスケープゴートにしてしまうメカニズムがよく分かりました。あたしは中学受験の際、「校則も制服のない自由な学校」を受験しました。そこは日本でも最難関の学校でしたが、「受かればワンピースを着て学校に行ける!」と思い猛勉強しました。そこの入試の社会を問題に「なぜいじめが起こるのか」を考えさせる問題がありました。あたしはその時、「勉強とはすべて心を美しくするためのもの」と子供ながら悟りました。しかしそこ学校には受からず、それとは反対に日本一校則の厳しい男子校に6年間「服役」させられることとなりました。ああ、あの時近くの川に飛び込んでいれば!と今も悔やむことがあります。そもそもなぜスカートを性別を理由にはいてはいけないのでしょうか。理不尽な校則や制服を設ける学校(社会)に自殺をとがめる権利や資格
はあるとは到底思えません。この絵本を読んで改めて一人一人の個性の大切さを痛感させられました。

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  1. 2009/07/31(金) 01:48:47|
  2. 感想文:絵本「罰とイジメと自殺のロンド」|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:6
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コメント

私は現在、欧州に住んで20年になります。
その目で語ってみたいと思います。

欧米は個人主義と、どなたか言っておられましたが、違います。利己主義です。
正確にはキリスト教個人主義で、これは二枚舌の利己主義です。
片や日本は、『べき論』で、暗黙の強要文化です。
「和」とか「絆」とかを、こう有る”べき”とし、それを強要する。窮屈この上ない。
外国で、日本人は礼儀がよいと言われる。
確かに団体時や人前ではそうです。
そうする事が礼儀だと言えばそうでしょう。
しかし、個人は納得していない、と言う事に着目する必要はないかです。
姿が、卑屈になる理由がここにあると思う。
俗に、1人じゃ立小便も出来ない、という。

さて「ユトリ教育」・・・これを聞いた時。
貧・富と賢・愚とをフルイにかけるのか、と思った。
さてどんなバカと利巧ができるかと思いきや、皆バカになって、小利巧ぶって評論家になった。
3・11の時、よくもパニックにならなかったとTVで見ました。
よく見ると、あの災害時での”べき”がなかっただけに、判断不能になったかに見えました。
中には臨機応変な行動で助かった人もいたようです。
常日頃の教育の賜物とも言えますが、概ね社会は”べき”論で固め、個人の発想を押さえ込んでいる。
発想の多様性のある人を異端視する。
つまり、自分の枡で他人を測る。
測られた人は、いい迷惑だが、誰もこれを無視する。それに社会性が有ると言う評価さえ与える。だから日本は世界からズレ落ち始め、ブログなどでは、民度の低さが言葉になって見える。
ところで・・・
個人主義と利己主義ですが、
個人主義というのは、思い切り他人を尊重していく事です。
利己主義というのは、綺麗事で他人を犠牲にし、自分だけ良い子になろう言う無責任な事です。
では、これがどこから派生したか、低級な哲学・思想からで、100年前に、その指導性は消えたとさえ言われます。
日本には神道というのがあり、外国には神への崇拝思想があります。
では、神とは何か?
決して超全的な存在ではないのです。
神とは、人間の現実行動の事なのです。
互いに影響し合うものなのです。
だから、人間を知る哲学・思想が必要になるのです。これを日本人は、何の研究も探求もしないまま、衆を頼んでオカルトと言ってしまう。
他人が何を語ろうとも、自己の発露として探求して、理論と現実を比較すれば応えは簡単に出ます。論より証で、合致すればいいのです。
正しい結果(実)には、正しい過程(種)が有る事も忘れずに、米種に麦実は成りませんから。
  1. 2012/01/11(水) 00:56:59 |
  2. URL |
  3. 長根兆半 #IZcoHMD6
  4. [ 編集]

色=くう 抹消されたメタ的哲学リテラシ

体罰は戦後に漫影した負の連鎖状態ですし、ゆがんだ社会とマスメディアの根拠のない大人たちへの自己益的プロパカンダが酷すぎて世紀末ですし・・  
これに適応(同化)仮想的俗説を刷り込まれた子供が将来子供を持ったとき・・
かなり危惧してます
  1. 2011/12/25(日) 02:16:53 |
  2. URL |
  3. 崎 #-
  4. [ 編集]

何でも教育のせいにするのはいかがなものかと…。

教育さえしていればどうにでもなるのでしょうか?
教える側が愛情から出た行為だと思っても、相手はそう受け取ってくれる保証は有りません。
たとえば、

体罰・・・しつけ、鍛える
理想の押し付け・・・成長を願ってあえて苦言を呈す
過剰な期待(親の夢を押し付ける)・・・自分にも子供にもプラスになる
怠慢・・・子供の成長を促す
ネグレクト・・・子供の自由を尊重する

このように、自分の欲や怠慢から出た言動を全て子供の為と正当化が出来てしまいます。しかも、それが裏目に出たとしても、「理解できない方が悪い」、「受け取り方の問題」等と結果に責任を取らなくていいことになります。
思い通りの成果が出なかったのは全て子供が悪いなんて言えるでしょうか?
完璧な親や教師はいませんが、子供はもっと完璧ではありません。
大人だって教えられたことを忠実に実行している人なんて、極少数でしょう。
子供を教育する場合、教育する側がもっと謙虚でなければならないのではないでしょうか?
下手すると、本当にやるべき事から、教育に逃げてさえいるのかもしれません。
  1. 2011/05/22(日) 00:28:14 |
  2. URL |
  3. 式神冷水 #-
  4. [ 編集]

追加で...「ゆとり教育」について

ゆとり教育がマズカッタのでも管理教育がマズカッタのでもなく、教育者が機械的になり魂がなくなった、理念というか本当の目的や方向性に共感・理解していなかったことにつきると思います。この原因のひとつとして、教育者自体が「パブロフの犬」方式でしつけられた段階で止まっている点を挙げたいです。

文頭に
>年々学校がひどくなってきたのは...
とありますが、校内暴力をはじめとした荒れた学校は、戦後昭和も相当なものでしたね。ちなみに、あくまで数の上ですが、少年犯罪の数は今のほうが事実として漸減しています。現在はネットの発達でひどい情報が多数見えますが、管理教育時代のいじめは相当醜かったと記憶しています。かつての列車やトイレの落書きは微笑ましいものが多かったですか?

ちなみに、サイトの作者さんは
サイトのタイトルで「和」を用いられたり
「憂国の侍へ」というコーナーで
次のように述べられています。
「個人万能主義」とは、むしろ一線を画しておられますよ。
http://www.j15.org/yukoku/index.html

個人的には、人工環境内に閉じている社会から、自然界ともっと共生する社会になれば、和や思いやりを尊ぶ社会にずっと近づくと思います。
日本人の謙虚さは、「全体教育」などよりもはるかに超えて、日本の国土・地勢・風土がそのようにたらしめているもの、と、今回の災害と人々の行動から強く感じました(もっとも、人災部分にまで受動的・盲目的に妥協するのは、これら裏目かもしれませんが...)。
  1. 2011/05/04(水) 18:22:52 |
  2. URL |
  3. koma #FgyHf86o
  4. [ 編集]

kaoriさんのコメントを拝読して

人間の成長にも社会の変化にも段階があります。
サイトの作者さんが「子供たちにそもそも教育は無用」「しつけ教育は要らない」との主張なら、私も大反対です。眠くても起き、意思の力を鍛えること、仲間と協力しあうこと、とても大切です。「叩いてでも危険から離れさせる」こともあろうかと思います。
しかし、自分で自分の人生に責任をもっていくことが大人とすれば、適した時期に、自分で考えて意思決定していく段階への脱皮が必須です。ずっと条件反射にとどまっていては、大人になることは到底無理でしょう(ましてや教える側がそんなでは何をいわんや、です)。みんなが雛のように無心に口を開けて待っていれば、子子孫孫安泰なほど人間社会は甘くありません。人間も生物界のはしくれです。

一方、社会も変化しています。戦後は、食糧、衣類など、必要なものについて皆が共通していました(なので、大量生産でき高効率な規格品が優秀とされました)。が、ひととおりのものが行きわたった現在、皆が同じものを望み同じ考えで同じ行動をする社会は、はたして健康的でしょうか?多様性は組織を強くするものとも言われますが...同じことを考え、同じことをしないと思いやりがないことになるのでしょうか?全体に対して思いやりは必要だが個々人に対しては思いやる必要がないのでもなく、逆でもなく、両方おもいやることが、暮らしやすい幸せな社会にとって大切だと思っています。
  1. 2011/05/04(水) 18:17:48 |
  2. URL |
  3. koma #FgyHf86o
  4. [ 編集]

絵本に悪意を感じます。

年々学校がひどくなってきたのは管理体制が廃止されて、ゆとり教育がはじまってからです。いじめの多発原因は学校教育の個人主義と子供の人権によるものだと思います。

個人主義は良いことのように思いますが、皆が好きなことにはしり自分を第一に考えること。
それでも欧米が個人主義でも良いは1つの宗教をもってるから
いざというときには団結ができます。ですが私たち日本人には何か共通するものがありません。それでも全体主義というのが昔からあり、それこそが日本を守っているんです。

全体主義というのは【他人への思いやり】これがなければ成り立たないんです。
日本は世界一マナーが高いと他国から評判がありますが、それは誰が強制していますか?これこそ全体主義の思いやりからなるものだと思います。皆が心地よくあろうという思いからでしょう。

決して絵本のような相手に強制したり個人を潰すものではありません。
あの絵本の例の国があるとしたら中華人民共和国でしょう。自国で罰を徹底して与え個人を潰す国。

私の時代はいじめが目の前にあったら、皆で団結して止めにいったものですが、今では強い意見に従うことしかできない子供たちを哀れに思います。
  1. 2010/10/10(日) 14:26:53 |
  2. URL |
  3. kaori #rP.Gk8XE
  4. [ 編集]

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