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長根兆半様 -負ける喧嘩:「平和の絵本」から、ありがとう

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「平和の絵本」への応援、ありがとうございます。直接、御礼を言えないことも多いのですが、この場を借りて感謝の言葉を述べさせて下さい。またこのブログでは応援してくださる皆様の声も御紹介したいと存じます。

長根兆半様 -負ける喧嘩


長根兆半様から、新作絵本「負ける喧嘩」に関連して、以下のご感想、ご意見を賜りました。長根兆半様、いつもありがとうございます!!

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今回の絵本「負ける喧嘩」を読んで、イジメの中での、勇気の無さ、だと思った。しかし、作者はここで、「生と死をテーマとした絵本」をと語っている。
では、先ず、「生」とは「死」とはを、果たして人はどのように認識しているかを考えて見たいと思う。
私達は、見たり聞いたりで、生・死の区別は出来ています。
ところが、見て理解出来ても、これを文として表現するとなれば、なかなか出来ないでいる。
草木、ペット動物、そして人などを、私達は生きている、と言う事と死んだ、と言う区別は出来ます。
しかし、それは単に、動いていたものが動かなくなった。
これだけの現実認識だろうか?
目に映ったことだけが現実だろうか・・・?
一面としては正しいと思うが、過去に読んだ文献などから、私がどのように認識しているかを、もう一歩突っ込んで書いてみたい。

実は、私達は、「死」を日常的に体験していると思う。
それは夢の世界です。そう、夜寝て見る、あの夢の世界です。
生命には二種類あり、一つは『生の生命』もう一つは『死の生命』です。
昼と夜で、生・死を繰り返していると言う事になる。
生命それ自体は、無味無臭無感触だと思うが、これが体に宿った時、私達は認識できます。その体が、病や事故によって失った時、この瞬間に、生命の存在を認める事が出来なくなります。これが『死体』です。
つまり、生命と体の分離と言う事になると思う。
では、生命はどこへ行ったか?
現代科学でも、これは感知できません。
しかし、ここで、一つの例を上げたいと思います。

日常使っている携帯電話です。
Aと言う携帯からBへ送信します。声として聞くことが出来ます。
電話機という体があるから出来ます。A・B間に流れている電波を、私達は見る事も触る事も何も出来ません。
あらぬ空間を見て、「あ、声が走っている」などとはなりません。
夜見る夢の中と同じだと思う。
目を醒ました本人に自覚はあるが、本人にしか分らない。
しかも、夢の中で、自分の意思がいかに不自由だったかもわかると思う。
あれが、死の世界です。
昨日の思いや出来事によって夢の内容が決まると思うが、夢の中で、自分は操作が出来ない。
つまり、寝て死の生命、起きて生の生命。
さて、誰でも、友人との交信をしたい、大事にしたいと思うわけですが、それには、携帯が正しく機能していないと出来ないわけです。
そこで、電波(生命)を大事にしたいから、携帯(体)を守る、と言う事になると思う。体を守らなければ、生命は自動分離します・・・と認識しています。
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  1. 2012/02/01(水) 18:51:04|
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