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やすっち様 -メッセージ「恐怖が支配する信仰心」:「平和の絵本」から、ありがとう

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「平和の絵本」への応援、ありがとうございます。直接、御礼を言えないことも多いのですが、この場を借りて感謝の言葉を述べさせて下さい。またこのブログでは応援してくださる皆様の声も御紹介したいと存じます。

やすっち様 -メッセージ「恐怖が支配する信仰心」


やすっち様が、平和の絵本をご覧になって、以下のご感想・メッセージをブログにアップされています。
やすっち様、ありがとうございます。



--------------➡恐怖が支配する信仰心--------------------

テーマ:社会問題
平和の絵本を見て思うこととして。

東郷潤さんの平和の絵本を見ての感想なのですが、
内容が多くなるのでブログ記事で書かせていただく
ことにしました。いくつかみて、それぞれ
はっきり思い出せないので、考えてきたテーマを
強調して書かせていただくことにしました。
記憶力が病気で悪い故にすみません…


聖ヨハネはこう言っています「神を愛していると言いながら、見たり触れたりすることのできる人、ましてや一緒に住んでいる周りの人を愛せないで、どうして見えない神を愛せると言うのか?」「あなたは嘘つきだ」と。読むのがこわくなるような言葉の一つ、けれども、それは実にほんとうのことなのです。
ツイッター、マザーテレサbotのツイートから引用

信仰心と献身無き信仰についての概念でよく考える
事は、私としては真っ先にヨハネの言葉が出てきます。
私自身が信仰心を持てない理由が集約されていますからね。

しかし、平和の絵本をいくつか見させていただいて、
どうも理由はそれだけではないと思いはじめました。
信仰のゆがみの本質は他にもある。それが恐怖という感情。

信仰と恐怖がセットになりやすい原因は地獄という存在。
キリスト教にも仏教にも地獄という概念はほぼ共通して
存在していますし、理屈としてはあまり変わりません。
ただ絵としての表現が違うだけで、だけど本質はほぼ同じ。

わたしも子供のころにはこの恐怖に脅かされたけど、
今は全然恐怖として認識していない。まあそれは、
精神が半分闇に落ちたせいだろう、私はこう見えて、
決して光に属する人間ではない。ただ単に、
光と闇の狭間でもがき苦しんでいるだけだ。
この汚れた世界で光を受け入れることは出来ない。
だから子供としての女児アニメの世界を追求するだけ。

個人的な話はここまでにして、問題はこの地獄という
定義である。この地獄という定義が人間を過剰な
正義に駆り立て、戦争などの殺し合いに導くという
見解に私はかなり感銘を受けた。これは正しいと思う。

私も作者さんと同じように、決して宗教そのものが
人々を戦争に駆り立てるのだと言いたいのではない。
動機が宗教からきていようと、戦争したがる邪悪な
心は我々人間自身の邪悪な心そのもので宗教は関係ない。

結局は私の自説どおり、人間自身が神を殺した結果
であり、私が追求するニーチェ哲学の見方に立ち返る。
私が一番言いたいのは、私のような無神論者が
急増する背景には、信仰の美しさをぶっ壊してしまう
無責任な信仰にある。私はそこを一番伝えたいのです。

平和の絵本で特に魔法のめがねに関しては、
少なくとも日本社会の人々は魔法のめがねと逆の性質の
魔法のめがねを悪魔から渡されたものだと思う。
結局、招く結果は同じなのですが、違うのはここから。
日本社会の場合は優しい人が悪人に見えるもので、
乱暴な人が善人に見えるというさらに悪質な細工が
施された魔法のめがねで、もっと性質が悪く複雑。

もちろん、いきなり善人と悪人を識別して見せてくれる
わけではないのだ。いきなり区別したら現実の話と
つじつまが合わないから、当然だと思うでしょう?

そこでよく考えて欲しい。日本では普段優しい人が
我慢を積み重ねた結果、限界を超えて破滅的な
行動に出る事件が増え始めている。おとなしい人ほど
切れると怖いと認識されているし、それは事実として
確かに存在する。これがその魔法のめがねの作用。

確かにそれは事実だけど、それは優しい人の
本質なんかではない。それは当たり前だ。
理不尽に散々我慢させてきて、限界を超えただけ
だから、善悪は別として、矛盾は何も無いのよ。
悪い事は悪いけど、矛盾は何もありません。
なのに何故、矛盾と思い込むかが問題です。

そして次に乱暴な人、一番分かりやすいのが成人式の
騒動。成人式で騒動があっても暴れた奴らが
清掃活動をするだけで賞賛されるツイッター民の反応って
何なの、私は悪いけどみていて物凄く不愉快です。
何様のつもりだろうと正直言いたいです。
前述の優しい人をここまで追い詰めて苦しめておいて、
乱暴な人を平気で甘やかせるのは不公平では無いかと。

乱暴な人が善人に見えてしまう魔法のめがねの作用で、
その勘違いのツイートをあなた方は繰り返していませんか?
別に吊るし上げて叩く事が良いとは言いませんが、
賞賛を贈るのもまたおかしいと思うのですよ。
こんな理不尽な事とをすれば、逆に被害者が
吊るし上げて叩く事を強いられるのでやめて欲しいです。
相手を殴る必要性を強いることは暴力の一つです。

良い事をしている気分かもしれませんが、不公平な
ジャッジは見えない当事者を苦しめます。よく考えて。

とまあ、結局私自身の私情がかなり入ってしまいましたが、
信仰と恐怖の問題点がなんとなく伝われば幸いです。
私はそこを一番訴えたいと思いましたが、自分だけの
言葉では難しいかもしれません。また何か良い
表現がそこから生まれることを切に願います。
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  1. 2016/02/01(月) 17:28:31|
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