ありがとうと感謝の気持を平和の絵本から。

宇野富士子 様 - メッセージ:「平和の絵本」から、ありがとう

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「平和の絵本」への応援、ありがとうございます。直接、御礼を言えないことも多いのですが、この場を借りて感謝の言葉を述べさせて下さい。またこのブログでは応援してくださる皆様の声も御紹介したいと存じます。

宇野富士子 様 - メッセージ


宇野富士子様より、以下のメッセージを頂きました。宇野様、ありがとうございます!


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RE) 初めまして

善悪の規準は、相対的なんだと思いました。人殺しは、平和時には「犯罪」になりますが、戦争時には当たり前になります。圧倒的な権力の圧力の元で、個々人の生への執着は歪んでしまって、色々な形でその現象が現れます。虐殺に加担したり、女をレイプしたり、性欲処理の道具にするのはそうした歪みのひとつなんだと思います。

聖書はヨーロッパに広がる中で、利用され、悪用され、その時々の指導者や発言者によって都合のいいように歪められてきたと聞いたことがあります。現在のキリスト教の形は、聖書には一切記されていないものばかりです。ローマ法王など、どこにもその権限も立場も認可も書かれてはいないのですから、壮大な詐欺師とも言えるのではないでしょうか。プロテスタントはルターやカルヴァンらによって広まりましたが、その背景には彼らの個人的な感情が深く関わっていることが知られています。

その点についてエーリッヒ・フロムはこう述べていました。「或る特定の宗教が行動を動機づける力を持つ場合、その宗教は教義や信仰の総計ではない。
それは個人の特定の性格構造に根差すものであり、またそれが集団の宗教であるかぎりは、社会的性格に根差している。

かくして、宗教的態度は性格構造の一面と見なすことができる。というのは、私達は私達が献身するものであり、献身するものは、行動を動機づけるものであるからだ。

しかしながら、個人はしばしば彼らの個人的献身の現実の対象に気付きさえせずに、〈公の〉信仰を、彼らがひそかにではあるが現実に信じている宗教と間違えている。

たとえば、もし一人の男が愛の宗教を口にしながら力を崇拝しているとすれば、力の宗教が彼のひそかな宗教であり、彼のいわゆる公の宗教、たとえばキリスト教はイデオロギーにすぎない。」

宗教に限らず、表面に出ているものと、個々人がその内心や心の奥底で感じている、考えていることとが合致しない場合は、普段の生活の中で多々あると思います。それは、「善悪」という二元的な問題ではなく、実際には多面的であろうと思います。

少し絵本をネットで拝見させて頂きました。駅のお話は、想像力というよりも、誇大妄想なのでは、と思いました。想像も妄想も現実には存在しない現象を思い描くことですが、想像力には客観性があります。妄想は、主観的でしかもその当の本人は非常に未熟だという特徴があるのではないでしょうか。

ご無礼をお許しください。感じたままを書きました。これからのご活躍をお祈りしております。

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  1. 2016/05/07(土) 21:57:27|
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